神奈川支部小史
1952年
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6月
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鈴木秀男氏、村上司郎氏ら13名により支部が創設される。支部名は横浜支部。 |
1954年
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2月
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中西悟堂氏を迎えて初めての探鳥会を行う。(コースは、富岡~六国峠~鎌倉) |
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相沢敏夫氏が初代支部長に就任したが、12月に急逝する。 |
1955年
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6月
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支部報を創刊する。編集は村上司郎氏。事務所は高山氏宅。会費200円。 |
1956年
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鈴木秀男氏が2代目支部長に就任。 |
1957年
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5月
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初の宿泊探鳥会が奥多摩御岳山で計画されたが、雨のため参加者5名。 |
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9月
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横浜有隣堂で写真展「自然を見る眼」開催。(以後、60、62年にも開催) |
1958年
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2月
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初の城ケ島探鳥会。参加者96名。渡し舟で島に渡る! |
1959年
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会員数100名を超える。 |
1960年
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6月
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初の貸し切りバス探鳥会で富士山麓へ。参加者94名、見聞した鳥52種。 |
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1961年 |
6月
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観光会社の後援で軽井沢へバス探鳥会。支部史上最高の150名参加。 |
1962年 |
4月
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支部報復刊する。編集長は寺島浩一氏。 |
1965年 |
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会員数200名を超える。 |
1967年 |
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支部会費が400円になる。 |
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1973年 |
4月
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支部報が100号を迎える。 |
1974年 |
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支部会費が500円になる。 |
1976年 |
1月
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支部名称を「神奈川支部」に改め、事務所を鈴木支部長宅とする。 |
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会費は1000円に。 | |
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支部報がガリ版刷からタイプオフセット印刷に。編集長は浜口現支部長。 | |
1977年 |
7月
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支部会費が1500円になる。 |
10月
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25周年行事として、映画と講演「野鳥の集い」などを開催する。 | |
1978年 |
1月
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村上司郎氏が3代目支部長に就任。 |
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会員数は500名を超える。 | |
1979年 |
9月
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神奈川区二ツ谷町に事務所を借り、移転する。 |
1980年 |
4月
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支部会費が2000円になる。 |
5月
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有隣堂より「神奈川の野鳥」を刊行する。 | |
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1981年 |
10月
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支部が、神奈川県自然保護功労者賞を受賞。 |
1982年 |
1月
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支部報名称を「はばたき」とする。 |
5月
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バードウィーク一斉探鳥会を始めて行う。 | |
1983年 |
1月
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支部会費が2500円になる。 |
1985年 |
9月
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支部事務所を東神奈川のクボタビル(現・第3ケイヒンビル)に移転。 |
12月
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支部初の海外探鳥会として、台湾へ。参加者20名。見聞した鳥111種。 | |
1986年 |
3月
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「横浜自然観察の森」開園。 |
12月
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「神奈川の野鳥1977-86 -神奈川県鳥類目録-」発行。 | |
1987年 |
10月
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これまで隔月刊だった「はばたき」が月刊となる。 |
1989年 |
1月
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支部報が200号となる。 |
1990年 |
9月
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第1回目の鳥学講座を開講する。以後5回開催。 |
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1991年 |
1月
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日本野鳥の会本部と神奈川支部の会費が一本化される。 |
1992年 |
5月
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創立40周年を迎える。 神奈川県で開催された「全国野鳥保護のつどい」に協力する。 |
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神奈川の野鳥1987-91」及び「かながわ鳥図鑑」発行。 | |
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会員数2500名。 | |
1994年 |
1月
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浜口哲一氏が4代目支部長に就任。支部会費が3300円になる。 |
7月
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「BINOS -神奈川支部研究年報-」第1号発行。以後毎年発行。 | |
1995年 |
12月
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「インドアの集い」を15年ぶりに催す。参加者30名。 |
1996年 |
2月
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支部の働きかけで、大磯町照ヶ崎のアオバトが県天然記念物に指定。 |
1997年 |
5月
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支部報が300号となる。 |
1998年 |
1月
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「はばたき」新年号でエコバーディングを提唱する。 |
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会員数4000名。 |